人形劇の得手不得手

とても久しぶりですが、

人形劇に関するTipsを書いてみようと思い立ちました。

物事にはすべからく得手不得手と云うものがあります。

 

人形劇を始めようとして間違ってこのページに辿り着いた方、

よりよい舞台・人形劇を目指してこのページにやって来てしまった方には、

この表現媒体の違いを知って演目作りに役立ててみて下さい。

 

 

人形劇は文字通り人形の芝居です。

人形は基本的に人を模して作られていますが、当然人のようには動きません。

特に表情はほとんど変化しませんので、

喜怒哀楽は表情以外の仕草や光の加減などで表現することになります。

 

そして、多くの場合人形劇は子供を主な対象に上演されます。

この際、大きく2つのアプローチで作品は選ばれます。

  1. 子供に喜んでもらうことを目的とした作品
  2. 道徳教育・しつけを目的とした作品

2.は目的がはっきりしているのでとりあえずよいのですが、

1.のアプローチは「喜んでもらう」という漠然とした目的を基に

作品を選び(もしくは考え)ます。

ここで多くの人が舞台演劇・人形劇の得手不得手を考えずに

子供に人気のある絵本や童話などから決めてしまいがちです。

人形劇には棒遣い人形・ペープサートといった人形の形態や

舞台演劇か映像作品かというメディアの違いによっても変わってきますが、

今回は一般的にイメージされる人形劇舞台という表現方法に適した作品

あまり適さない作品ついて考えてみようと思います。

舞台演劇(Live)である以上避けられない制約があります。

もちろん、人形劇は生身の人間では物理的に不可能であったり極めて難しいこと、

例えば空を飛ぶ・地面に潜る・およそ人とは形の違うものなどを

比較的簡単に表現することが出来ます。

しかし、現時点では技術的に舞台に対して映像的加工・合成は出来ませんし

視点変更・場面転換も容易ではありません。

 

映画のようにばんばんシーンやカットが変わるようなストーリーは、

そもそも適していません。

 

むしろ物語の大きなうねりを扱うより

極めて限定的な場面におけるキャラクターの行動・言動を扱う方が得意です。

ゴンちゃん劇場が最初に選んだ作品は

 

「うしかたとやまんば」と「まめとわらとすみ」

 

という昔話でした。

特にうしかたとやまんばは小さな頃から好きなお話で、

旗揚げする際に真っ先に浮かんだ演目でした。

どちらも旅の途中を扱ったちょっと恐ろしい滑稽なお話しです。

場面は大きく道中と家の中の2場しかありません。

そして、どちらも登場するキャラクターの掛け合いが面白いお話ですが、

ストーリーの肝に当たる部分に動きのある物語です。

 

演劇は「総合芸術」と呼ばれることがある通り、

聴覚・視覚、場合によっては嗅覚や触覚まで刺激する表現媒体ですから

この「動き」と云うのは、非常に重要な要素です。

子供たちはキャラクターの掛け合いだけでなく

コミカルな動きやスリルのある動きを求めているのです。

 

「大工と鬼六」

 

というお話は読み物としてはとても面白いお話です。

次の作品を仕込むことになった時「これがいい」と思いました。

この作品も場面は川と鬼の棲む谷しかありませんし、

恐ろしい鬼が突然現れる、一夜にして橋が出来上がるといった動きがあり、

大工と鬼六のスリルな掛け合いが展開します。

 

しかし、決定的に違うことが1つありました。

時間の経過が断続的だったことです。

「うしかたとやまんば」が日暮れ時から夜中までのお話であるのに対して

「大工と鬼六」は何日にもまたがったお話なのです。

しかも、ほとんどが橋を架ける川の場面、前半はひたすら橋を作る大工で

中盤は一晩経つごとに半分ずつ出来上がる鬼の橋。

文章では数行で済ませるこの過程を

芝居では何分も要して表現しなければならなかったのです。

当然、子供たちはこの単調な展開を楽しんでくれませんでした。

でも、「起」と「承」にあたるこの場面がなければ

追いつめられた大工に希望の光が射す「転」も

それに続く見せ場である「結」の劇的大逆転生きて来ないのです。

 

この

 

「聴いて面白い題材と観て面白い題材は違う」

 

と云う気付きは、表現に得手不得手があるという気付きにつながり、

その後のゴンちゃん劇場の作品作りに大きく影響し

アンケートでの好意的な感想に繋がっています。